隣の県、長野の善光寺(1400年前の飛鳥時代に創建)の仏様は一度捨てられていた!?

隣の県、長野の善光寺(1400年前の飛鳥時代に創建)の仏様は一度捨てられていた!?

新潟から少し足をのばし、隣の県、長野の善光寺にいってきました。

現在の本堂は300年前に再建され、木造建築としては、奈良の東大寺大仏殿、京都の三十三間堂同様に、日本を代表する規模。撞木造りという独特な建築様式が用いられているそう。

何宗?というと飛鳥時代に創建されその頃はまだ宗派という概念なく、無宗教のまま残っているとのこと。

ご本尊は「一光三尊阿弥陀如来」という仏様。インド・朝鮮半島百済を経て、伝来後一度は廃仏派の物部氏により現在の大阪・堀江に捨てられましたが、本田善光(ほんだ よしみつ)が発見し、信濃国の現 長野県飯田市に安置したそう。そして「善光さんのお寺(善光寺)」と呼ぶようになったそう。おすがりする者はすべて極楽往生を約束してくださる仏さまといわれているそうです。

善光寺さんが全国に知れられるようになるのは平安時代の末期。当時、有名なお寺は決まって女人禁制だったところ、善光寺は最初から女性も救う寺として知られていた。その後、身分や男女の差なくおすがりする者はすべて極楽往生を約束してくださる仏さまといわれ、全国から老若男女が訪れるようになったそう。

見どころは、本堂が国宝、経蔵や山門、釈迦堂や釈迦涅槃像などが国指定の重要文化財、鐘楼や梵鐘が国指定の重要美術品になっているほか、市指定の史跡などある。

仁王像 善光寺最初の門


本堂

本堂は300年前に再建され、木造建築としては、奈良の東大寺大仏殿、京都の三十三間堂同様に、日本を代表する規模。撞木造りという独特な建築様式が用いられている。

山門

門の内部の2階に、四天王に囲まれた木像文殊菩薩坐像、四国八十八ヶ所の札所本尊を模刻した百体仏が祀られているそう。文殊菩薩坐像が安置されていることから、山門のことを「知恵の門」とも呼ばれているそうです。

正面には黄色に輝く「善光寺」の額がかけられていて、通称「鳩字の額」とも呼ばれており、鳩が五羽隠されているとのこと。

よく分かりにくいですが、全の上に2羽、光の上に二羽、寺の下の払いのところに1羽います。

一方善の字は、牛に見えるという説もあります。「牛に引かれて善光寺参り」という信仰から来ているそう。